ストレートロジック
#セルセタの樹海 #デュレン+カンリリカ
デュレンが今夜何度目かの欠伸を噛み殺すと、テントの中でがさごそと音がした。
数秒後、テントからひょこっと顔を出したカンリリカは、眠気の欠片もないと言わんばかりに大きな目をぱっちり開いていて、焚き火の前に屈んでいたデュレンの隣にちょこんと座った。
「どうしたんだ」
「大したことじゃありません。夜中急に会いたくなる病です」
「なんだそりゃ。見張りなら俺一人で足りてっから、子供はまだ寝てなさい」
カンリリカは顔をしかめて露骨に不満を表した。
「デュレンさんはすぐわたしを子供扱いしますね」
「だって子供だろ」
「はい、子供です」
「ならいいじゃないの」
「良くありません。デュレンさんに子供扱いされるのは、『お前なんかじゃ相手にならない』と言われているみたいで嫌です」
「俺はそんなこと言ってないぜ」
そんなの知ってますけど、とカンリリカは唇を尖らせた。自分の受け取り方のほうが捻くれているのであって、誰も自分を見くびったり、馬鹿にしたりする訳ではない。まだ若いのに、と感心する人もいる。
だがカンリリカには、その『まだ若いのに』という枕詞が不愉快だった。
年が若ければ、真面目で、頭が良くて、努力家で、責任感があってはいけないのか。当然こんな論理はおかしい。しかしそれも事実の一側面には違いないとカンリリカは思った。自分は年齢的に子供でありながら大人たちが頭の中に飼っている『子供』のイメージにそぐわない生物であり、そこに生じる違和感を精一杯好意的に表すために「若いのに」という枕詞が使われるのだ。もっと幼い頃には誇ってさえいたのに、今はその言葉を聞くたびに惨めになる。
なら大人になればいい。カンリリカという人間の今の姿を構成する要素の全ては、『若いのに』ではなく『カンリリカだから』ということを、誰でも良い、とにかく誰かにわかってほしい。この願いは──そう、誰かの言葉を借りるなら、毛羽立つほど使い古された青春小説の主人公みたいな、子供っぽい願いは──子供でなくなって、大人になってしまえば叶う。
「子供のくせに背伸びばっかりして、わたし、バカみたいですか」
「……誰かにそう言われたのか?」
いえ、とカンリリカは短く答えた。誰もそんなことは言わない。たとえ本当はそう思っていたとしても。デュレンはあまり興味なさそうに、考えすぎだと言った。
「そういう風には思わないけどな」
「じゃあ、デュレンさんから見たわたしはどんな人間なんですか?」
「……ふむ。どんな人間、か」
デュレンは粗く組んだ焚き火の基礎を長細い枝でつつき、お前さんは小さいくせに、と始めようとして慌てて口を噤んだ。散々文句を言われているのに、この場面でもちゃっかり顔を出すから癖というものは恐ろしい。
一度深呼吸をして、そうだなあ、とのんびりした調子で言ったきり、しばらくデュレンは黙り込んだ。膝を抱えて、パチパチと火が弾ける様子をじっと見つめていたカンリリカが視線を動かし、自分の首が右へ傾いていることに気付いていなさそうなこの人は実のところ相当眠いんじゃないだろうか、と思った矢先にデュレンは大きな欠伸をし、枝を火の中へ放り込んだ。
「お前は偉いよ」
「……で?」
「おいおい、ここは難しく考えてくれ。そういうの得意だろ」
「やっぱりデュレンさんって、わたしのことバカにしてるんじゃないですか?」
「バカにしてんのはそっちじゃないのか? ここは喜ぶところだぜ、ほら」
デュレンがカンリリカの頭を乱暴に撫でると、その大きな掌の下から、きゃあっと悲鳴が上がった。
「い、いきなり何するんですか! やめてください!」
「もうちょっとこうされてろ」
「やだー!」
カンリリカは闇雲に腕を振り回し、やっとの思いでデュレンの太い手首を捕まえて引き剥がした。ぐしゃぐしゃに絡まってしまった長い髪を丁寧に解き、楽しそうに笑っているデュレンを睨む。
「ああもう……だからデュレンさんはモテないんです」
「お前さんはな、せっかちなんだよ」
デュレンはそう言って、必殺技を躱されたような顔をしたカンリリカの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「……さっきは偉いって言ってましたけど」
「一長一短ってことだな」
元通り膝を抱えたカンリリカの頬は膨れていた。
「わたしは別に、せっかちじゃないです」
「早く大人になりたいんだろ」
「立派な大人になりたいんです。デュレンさんみたいにはなりたくないので」
デュレンはわざとらしい咳払いをした。話を逸らしている場合ではない。
「焦ってもどうにもならねえよ。大人にはいずれ嫌でもなるんだし、子供でいていい間くらい子供のままでいなっての」
ちくしょう、とカンリリカは歯噛みした。こういう台詞を聞くと、衝動的にその人が嫌いになる。どんなに優しい言葉であっても、牙をむいて噛み付きそうになる。
「……わたしは、早く立派な大人になって、リーザ姉さんみたいにみんなから信頼される人になって、おじいちゃんやリーザ姉さんや、みんなの助けになるんです。だって、ずっとそのために……それなのに」
「……カンリリカ?」
「泣いてません」
「えっ、ちょ、ちょっと待った」
「絶対泣いてません」
事実カンリリカは泣いてはいなかったが、膝に顔を埋めて声を震わせていれば泣いているように見えただろう。カンリリカは怒り狂う寸前だった。
「わたし──わたし、こんなに幼稚じゃダメ──ゆるせない、こんなわたしじゃ」
弱り切った顔でデュレンは頭を掻いた。うずくまって自分自身を叱咤している小さな背中が、あの日、兄貴を追って里を飛び出した少年にそっくりだ。あのとき、見送ることも出来なかった背中に。
「お前さんはまだ子供じゃねえか。もう少し自分を甘やかしてやってもバチは当たんねえと思うぜ?」
「確かにわたしは子供ですけど、意味がわかりません。デュレンさんが自分を甘やかしすぎなんじゃないですか」
「……まあ、とにかく。わかってんのになんで焦るんだ。お前の言う『立派な大人』になるには、それなりの時間も必要なはずだ」
「だけど、早く……」
「ほら、それだ。落ち着いて順番に考えてみな。急げば大人になれる訳じゃない」
「それは……」
しばし沈黙した後、カンリリカは顔を上げた。おもむろにデュレンの方を見、それから視線を焚き火に向けてぽつりと言った。
「その通りです。こんなに当たり前のことをまさかデュレンさんに言われちゃうなんて、自分が恥ずかしいです」
「そりゃどういう意味だ」
小さく笑う声がした。笑ったのはカンリリカだ。くすくすと笑いながら細い肩を揺らしていた。
「ごめんなさい。もう落ち着きました」
「泣いても良かったんだぜ。ほれ、俺の胸ならいつでも空いてる」
「頼まれたってお断りです」
う、と呻いてデュレンは苦い顔で膝を抱える。カンリリカはまた笑ってその腕をつついた。
「デュレンさん。わたし、やっぱりあなたみたいな大人にはなりません」
「はいはい、そーですか。どうせ俺はろくでもねー野郎ですよ」
「全くです。わたしは立派な大人になりますから。デュレンさん、待っててくれますか」
「大丈夫大丈夫、デュレン様は気が長いからな。誰かさんみたいに、ある日突然旅に出たりとかはしねえよ」
カンリリカがぺちん、とデュレンの腕を叩いた。
「待ってるって言ってください」
その一言が、今、この人の口から、どうしても聞きたい。大きな目で切実に訴えかけるカンリリカに向かって、デュレンは笑顔を見せた。見ている方が赤面するかと思うような──実際に赤面したかもしれないが、焚き火にあたって随分前から顔が火照ったままのカンリリカには真相がわからない──カンリリカにとっては初めて見る顔だった。パチッと火が弾ける。デュレンはその笑顔で、またカンリリカの頭をぽんぽんと叩いた。
「安心しろ。ちゃんと待っててやるさ」
「……子供扱い、しないでください」
------------------------
ストレートロジック
2013/02/22